2007年11月27日

9.37

「役がある以上 それがたとえどんな端役であっても あなたは舞台という城をささえる石垣の石のひとつなのです。その石ひとつがかけても城は崩れる」

舞台は、即興芝居でないかぎり、台本というものがあり、
そこに書かれたト書きやセリフを元につくられていきます。
そして、そのつくりは意外と精密にできています。
ひとつのセリフや、ほんの少し演技が変わることで、
舞台全体の印象や、その物語の意味が変わってきたりします。

十何年も前ですが、演出をやらせてもらったとき、
リハーサルで、とても悲しい思いをしたことがありました。
今となっては良い思い出ですが、当時はさすがに頭に血がのぼりましたね。
考えてみれば、演出と役者の間に信頼関係ができていなかったのでしょう。
私の力不足ということです。そして、役者も力不足だった。

「石垣」を支える石を効果的に配置し、効果的に使えなければ
不安定で見栄えの悪い「石垣」ができあがってしまう。
しかし、「石垣」の出来映えは、演出家だけの責任ではない。
角がとれず、どの場所にも使いづらく、
一部分として「石垣」を支える力すらない石にも問題はある。

さて、自分はどこまで「使える石」になれるのだろう。
そして、信頼される「石積みの頭領」になれるのだろう。
そのためには何をすればいいんだろう。

そんな事をつれづれと考えてしまいました。  

Posted by ねた at 15:46Comments(2)月影語録

2007年10月09日

8.105

「“生きがい”…生命をかけられるもの…これがなくなったら死んでしまうかもしれない激しいもの 生きていたい 生きていたい 演劇があるかぎり…!」

いつからだろうか。「生きがい」なんていう言葉を広く耳にするようになったのは。
社会の高齢化が進み、年寄りに出来ることが減ってしまったり、
仕事の本質がつまらなくなって、仕事以外に情熱をかけられるものが
必要とされるようになってから・・・だろうか。

農作業なんかを素人なりにやってみると、
たとえ足腰が立たなくても、右手ひとつ動けば、やってもらえる仕事があるのだと分かる。
つまんない仕事をしてると、「仕事が面白ければいいのに」と思えてくる。
「生きがい」なんていうものは、個人ではなく、実は社会が勝手に追い求めているだけなのではないのか。

さて話を変えるが、残念ながら、私は月影さんほど「生きがい」という言葉に
それほどの強い思いを抱いていない。
その言葉も、もっと気軽に遣える言葉だと思っていたし、今も思っている。

しかし、それほどの強い思いと、そう感じられるものがあるというのは
とても幸せなことだろうなあ、と、うすぼんやり思う。

言葉というのは不思議なもので、それを遣うと
ある程度の意思疎通を図ることはできるが、その捉え方は人によってまったく異なる。
言葉についてセンシティブな人は確かに存在する。鈍感な人もいる。
両者が話すと、厄介なことになる。
そんな人たちを、これまで何人も見てきた。

まてよ。・・・ひょっとすると、私と月影さんも、そういう関係なのかもしれない。  

Posted by ねた at 00:14Comments(2)月影語録

2007年10月06日

7.109

「人間の性格を理解するのには まず その育ってきた環境を考えなければなりません」

「人間の性格を理解する」事自体、非常に困難だし、
理解できるわけない、とも思うのですが、
理解しようとすることは大切じゃないだろうか、と思います。

とは言っても、好きでもなく、興味もない人の事を知りたいとは思いません。
好きか、もしくはその生き様に非常に興味をそそられる人なら
とても知りたいと思います。

演じる場合にも、同じ事が言えるのではないか、と思います。

自分が演じる登場人物を好きになるか、
もしくは嫌いなら嫌いで、興味を持つこと。それが大事ではないかと思うのです。
それがどうしてもできないなら、演じても意味がない。
演じ手を降りた方が良い・・・そんなふうにも思います。  

Posted by ねた at 23:45Comments(2)月影語録

2007年09月30日

6.8

やりなさいマヤ… 自分の納得ゆくまで…

自分がこれまでやってきた演劇、仕事、資格試験、子育てなどなどを
改めて振り返ってみると、「納得ゆくまで」取り組んだことなど
果たしてどれだけあるだろうかと、自嘲気味にならざるを得ません。

もちろん、自分の怠け癖やこだわりの無さゆえにそうなっているのですが、
個人の諸事情や世間様とのしがらみがあって
できない場合が多いというのも事実です。

ただ、残された時間が少なくなってきたと実感できる年になって初めて
「納得ゆくまで」やることの難しさより
「納得ゆくまで」やることの大切さの方を
もっともっと考えなくちゃなあ、と思うようになりました。  

Posted by ねた at 00:24Comments(0)月影語録

2007年09月26日

言葉の吟味

最近、『ガラスの仮面』に登場する月影千草が話す言葉で
印象深いものをピックアップしているのですが、
いざ、書こうとすると、とても時間がかかります。

いくつか選んで栞をはさんだりしているのですが、
書こうと思ってパソコンに向かうと、
急に「それほどでもないな」とか「見方を変えると問題ありだな」と感じ、
つい別の言葉を探してしまったりしています。

なんだかブログのために探しているような感じになっていたので
ちょっとここで頭を冷やし、
じっくり読み込んで、本当にすごいと思った言葉だけを
取り上げることにしようと思いました。

「月影語録」の更新はゆっくりになりますが、
もし気が向いたら、またお越しください。  

Posted by ねた at 23:17Comments(0)月影語録

2007年09月24日

5.115

「大会の勝ち負けなど もうどうでもいい。観客はあなたを選んだ。ただ1人の舞台をつとめたあなたを選んだ。先生はそれだけで満足よ」

ちょっと長い引用になってしまいました。
今はどうか知りませんが、静岡県の高校はかつて、全国高校演劇大会というものに参加していませんでした。
当事者である高校生たちは参加したかったみたいですが、私個人は賛同したいと思います。

演劇はチェック項目を定めて、優劣を決めるようなものではありません。
高校生らしい演劇なんてものも存在しません。あれは幻想です。・・・みんな、知ってますよね。

舞台が終わった後、見知らぬ観客から
「あんた、良かったよ」なんて言葉をかけられたりするのが、
演劇に携わる者にとっての最高の勲章だと思います。  続きを読む

Posted by ねた at 23:29Comments(2)月影語録

2007年09月23日

3.160

「わたしもちょうど演劇の稽古などやりたくなっただけです。稽古には相手が必要でしょう。気のすむまでやりあおうじゃありませんか」

仲間、家族、同僚らが悪戦苦闘しているそばに、さりげなく寄り添うということが
自分にもできればいいなあ、なんて事を思うのですが、
実際は慌ただしい暮らしや怠け心があって、なかなか難しいですね。

けれど、こんな凡人の私にも「無理をしてでも、そうしたい」と思わせてくれるような、
ずば抜けた才能に出会ってみたいと思うのも正直なところです。  

Posted by ねた at 23:31Comments(0)月影語録

2007年09月22日

2.48

「演劇をやる上でとても重要なことは 相手の言葉をどううけとめ 答えるかです」

当たり前のことのように思うのですが、これが難しい。
自分のセリフばかりに気をとられ、
単に相手のセリフを聞いたつもりになっていて
実は自分のセリフを言うタイミングを図ってばかりいて、
他の人のセリフはあんまり聞いていないという事がよくあります。

振り返って考えると、日常生活でも、
いかに「聞いているフリ」をして過ごしているかがよく分かります。  

Posted by ねた at 23:44Comments(2)月影語録

2007年09月21日

1.184

「おぼえておきなさい。ひとつひとつの経験が そのまま演技につながるということを」

喜びや生き甲斐、好きといったプラス的な感情ばかりでなく、
嫉妬や悲しみ、嫌悪、憎悪、怒り、軽蔑といったマイナス的な感情まで含め、
すべてが演じることへの糧になる。

演技ばかりじゃない。生きること、そのものの糧にもなる。

ありのままの自分、そのすべてをまるごと受け入れ、
自分を素直に見つめるところから、生きる稽古を始めたい。  

Posted by ねた at 23:07Comments(5)月影語録

2007年09月21日

1.155

「才能とは自分を、自分自身を信じることです。いまにわかりますよ」

年をとって、体が思うように動かなくなってきている今になって
この言葉の言わんとするところが、少し分かるような気になりました。  

Posted by ねた at 10:24Comments(0)月影語録