2008年07月29日
肩身が狭い。
昨日の夜、仕事で高山市民文化会館へ行きました。
んで、エレベーターに乗ったところ、
扉に貼ってある注意書きに目が止まりました。

目にはしても内容を確認することはあまりないのですが、
この一文はいつも気になります。

これって、やっぱり演劇関係者へ向けての
一文なんじゃなかろうか。
ロビーで着替えたことのある私は
ちょっと肩身の狭い思いをしています。
んで、エレベーターに乗ったところ、
扉に貼ってある注意書きに目が止まりました。

目にはしても内容を確認することはあまりないのですが、
この一文はいつも気になります。

これって、やっぱり演劇関係者へ向けての
一文なんじゃなかろうか。
ロビーで着替えたことのある私は
ちょっと肩身の狭い思いをしています。
2008年07月28日
私らしく・・・ない。
最近、私らしくなく、
仕事で忙しい日々を送っています。
正確に言いますと、仕事の方にかなり精力を使い果たし、
別の方面に力が入らないというのが正直なところ。
というわけでブログの更新が滞っています。(言い訳)
今、夏休みのラジオ体操に行くため、
子どもがやたらと早起きで、途中で睡眠が途切れます。
仕事に精力を吸い取られ、
若干夏バテ気味のうえに睡眠不足で、気力が減退している。
昨日の夜はいろいろやる予定だったのに、
晩飯で酒を飲んだらもうダメ。
眠くて眠くて、一旦横になったら起きあがれないのですよ。
いや、根性があれば起きれるのでしょうが、
その根性がね・・・。
今日も、明日も、明後日も、
少なくとも来週末ごろまでは
忙しい日々になりそう。
う〜〜ん、このまま夏が終わってしまいそうだ。
仕事で忙しい日々を送っています。
正確に言いますと、仕事の方にかなり精力を使い果たし、
別の方面に力が入らないというのが正直なところ。
というわけでブログの更新が滞っています。(言い訳)
今、夏休みのラジオ体操に行くため、
子どもがやたらと早起きで、途中で睡眠が途切れます。
仕事に精力を吸い取られ、
若干夏バテ気味のうえに睡眠不足で、気力が減退している。
昨日の夜はいろいろやる予定だったのに、
晩飯で酒を飲んだらもうダメ。
眠くて眠くて、一旦横になったら起きあがれないのですよ。
いや、根性があれば起きれるのでしょうが、
その根性がね・・・。
今日も、明日も、明後日も、
少なくとも来週末ごろまでは
忙しい日々になりそう。
う〜〜ん、このまま夏が終わってしまいそうだ。
2008年07月23日
御都合主義?
昨日、娘2人がずいぶん昔のアニメを観ていました。
「劇場版・母をたずねて三千里」です。
なんせ私が幼いころのアニメですからね、
なんで現代の子どもたちが・・・と思うのですが、
2人とも夢中になって観ていました。
何を思って観ていたのやら。
私はといえば・・・感動していました。
何がって?
何だろう?
ドラマ特有の御都合主義ではあるのですが、
見知らぬ土地での偶然の再会や、
見知らぬ土地での、見知らぬ人々から受ける
温かい恩恵でしょうか。
「こんな事、ねーよ!」と思うのではなく、
「こんな事、あったら良いよなあ」と思えるドラマ。
この年になってようやく
あらすじを少し理解しました。
主人公マルコはイタリア・ジェノバから
まさに「母をたずねて」アルゼンチンへ向かうのですね。
んで、アルゼンチンではイタリアから移民が流入していて
イタリア人は厄介者扱いされているわけです。
そこで、お金をすられて文無しになり、
いるはずの家にはお母さんはおらず、
頼って行った家では乞食扱いされ、ショックを受けるマルコを、
貧乏生活を余儀無くされているイタリア移民たちが励まし、
少しずつお金を出し合って旅を続けさせたりするのです。
立ち尽くすマルコをイタリア移民たちの元へ連れていくのは、
かつて船の中でマルコと知り合ったおじさんです。
イタリアで知り合い、
アルゼンチンで再会することになった貧乏な旅芸人一家も
温かくマルコを迎え入れ、一緒に旅をします。
冷静に考えれば、お涙頂戴物の典型なのかもしれないですが、
最近、こういうのに滅法弱くなっている私です。
年をとったという事か。
それだけでもないような気がしているのですが、
今はよく分かりません。
「劇場版・母をたずねて三千里」です。
なんせ私が幼いころのアニメですからね、
なんで現代の子どもたちが・・・と思うのですが、
2人とも夢中になって観ていました。
何を思って観ていたのやら。
私はといえば・・・感動していました。
何がって?
何だろう?
ドラマ特有の御都合主義ではあるのですが、
見知らぬ土地での偶然の再会や、
見知らぬ土地での、見知らぬ人々から受ける
温かい恩恵でしょうか。
「こんな事、ねーよ!」と思うのではなく、
「こんな事、あったら良いよなあ」と思えるドラマ。
この年になってようやく
あらすじを少し理解しました。
主人公マルコはイタリア・ジェノバから
まさに「母をたずねて」アルゼンチンへ向かうのですね。
んで、アルゼンチンではイタリアから移民が流入していて
イタリア人は厄介者扱いされているわけです。
そこで、お金をすられて文無しになり、
いるはずの家にはお母さんはおらず、
頼って行った家では乞食扱いされ、ショックを受けるマルコを、
貧乏生活を余儀無くされているイタリア移民たちが励まし、
少しずつお金を出し合って旅を続けさせたりするのです。
立ち尽くすマルコをイタリア移民たちの元へ連れていくのは、
かつて船の中でマルコと知り合ったおじさんです。
イタリアで知り合い、
アルゼンチンで再会することになった貧乏な旅芸人一家も
温かくマルコを迎え入れ、一緒に旅をします。
冷静に考えれば、お涙頂戴物の典型なのかもしれないですが、
最近、こういうのに滅法弱くなっている私です。
年をとったという事か。
それだけでもないような気がしているのですが、
今はよく分かりません。
2008年07月22日
寝酒はダメ・・・
久しぶりに忙しい日々になっております。
いや、残業をバリバリとやっているわけではありませんが、
久しぶりにいろいろ頭を使ったので
まだ、気分が高ぶって眠れそうにありません。
毎日、こういう暮らしをしている人々が
交感神経優位の暮らしになって、
ストレスを抱えて病気になっていくというのが
なんとなく分かるような気もします。
そういえば旧友が、仕事の部署が変わって、
残業が多くて帰宅も遅くなり、
寝付きが悪くて、仕方なく寝酒をするようになったと
ぼやいていました。
それを聞いたときは「寝酒はやめろ」と言いましたが、
気持ちはよく分かります。
今日は寝酒をしようと思います。
明日もまた忙しい一日になりそうです。
明後日もまた忙しい日になりそうです。
その次は・・・きっとヒマな休日を過ごす予定です。
いや、残業をバリバリとやっているわけではありませんが、
久しぶりにいろいろ頭を使ったので
まだ、気分が高ぶって眠れそうにありません。
毎日、こういう暮らしをしている人々が
交感神経優位の暮らしになって、
ストレスを抱えて病気になっていくというのが
なんとなく分かるような気もします。
そういえば旧友が、仕事の部署が変わって、
残業が多くて帰宅も遅くなり、
寝付きが悪くて、仕方なく寝酒をするようになったと
ぼやいていました。
それを聞いたときは「寝酒はやめろ」と言いましたが、
気持ちはよく分かります。
今日は寝酒をしようと思います。
明日もまた忙しい一日になりそうです。
明後日もまた忙しい日になりそうです。
その次は・・・きっとヒマな休日を過ごす予定です。
2008年07月21日
明らかに食べ過ぎ。
昨日は上の娘の誕生パーティーでした。
まだ誕生日がきてないのですが、
平日だとちゃんとお祝いするのが難しいので、
少し早めにやったんです。
ごちそうをいっぱい食べまして、
ビールも飲みまして、
チーズケーキにジュースなんてものも口にしまして、
これはもうすでに尋常ではないカロリーを摂取したわけです。
その後の体重は考えるのも恐ろしいので、
少しでもカロリー消費をはかろうと、
筋肉痛の足と、壊れた膝をひきづりながら
ジョギングをしましたわい。
・・・ああ、若干アルコール分が血中に残っていたでしょうが、
ジョギングで警察に捕まることはありますまい。
血栓に捕まるかもしれんけど。
長めの距離を走って、汗でべたべたになり、
その汗が充分にひいてから
体重計に乗りました。
恐ろしや、ジョギングをしなかった一昨日よりも
500グラムほど増えているではありませんか!
走らなかったら、一体どういう事になっていたことか。
さて、今日です。
♪走ろか止めよか考え中〜。
まだ誕生日がきてないのですが、
平日だとちゃんとお祝いするのが難しいので、
少し早めにやったんです。
ごちそうをいっぱい食べまして、
ビールも飲みまして、
チーズケーキにジュースなんてものも口にしまして、
これはもうすでに尋常ではないカロリーを摂取したわけです。
その後の体重は考えるのも恐ろしいので、
少しでもカロリー消費をはかろうと、
筋肉痛の足と、壊れた膝をひきづりながら
ジョギングをしましたわい。
・・・ああ、若干アルコール分が血中に残っていたでしょうが、
ジョギングで警察に捕まることはありますまい。
血栓に捕まるかもしれんけど。
長めの距離を走って、汗でべたべたになり、
その汗が充分にひいてから
体重計に乗りました。
恐ろしや、ジョギングをしなかった一昨日よりも
500グラムほど増えているではありませんか!
走らなかったら、一体どういう事になっていたことか。
さて、今日です。
♪走ろか止めよか考え中〜。
2008年07月19日
少しさびしい。
いや、大したことではないんですが、
今しがた、私の好きな俳優さんの
故・グレゴリーハインズについてちょっと知りたいことがあり、
とりあえずウィキペディアで調べようと検索したら、
氏の単独の項目については
書き込みがありませんでした。
人それぞれ好みがあるので仕方がありませんが、
ちょっとさみしかったです。
えっ? 私が書き込めばいいって?
そんな知識がないから検索をかけたんではないですか。
・・・これもちょっとさみしい。
今しがた、私の好きな俳優さんの
故・グレゴリーハインズについてちょっと知りたいことがあり、
とりあえずウィキペディアで調べようと検索したら、
氏の単独の項目については
書き込みがありませんでした。
人それぞれ好みがあるので仕方がありませんが、
ちょっとさみしかったです。
えっ? 私が書き込めばいいって?
そんな知識がないから検索をかけたんではないですか。
・・・これもちょっとさみしい。
2008年07月18日
花が咲いた。
私、これまで知りませんでした。
初めて見ました。

ニンジンの花ですね。
昨年から植えっぱなしにしていたニンジンが冬を越え、
最近、やっと花が咲き始めたというわけです。
ぜひ、種を採りたいのですが、
どんなふうに種ができるのかも知りません。
そちらも楽しみです。
初めて見ました。

ニンジンの花ですね。
昨年から植えっぱなしにしていたニンジンが冬を越え、
最近、やっと花が咲き始めたというわけです。
ぜひ、種を採りたいのですが、
どんなふうに種ができるのかも知りません。
そちらも楽しみです。
2008年07月16日
結果を出すこと。
働いて、お金を儲け、物を買い、
暮らしが便利になり、余暇ができ、
仕事以外に、自分の好きな事ができる。
実際に社会に出る前は
そんな事を漠然と、当然のように思ってました。
ただ、最初のうちは技術も経験もないから、
心からやりたい事はしばらく我慢して仕事を優先し、
ある程度、スキルがついて余暇ができれば、
その時にまた始めればいい。
そんな青臭いことを考えていたわけです。
しかし、がんばってもがんばっても、
いや、がんばればがんばるほど、
信用されればされるほど、
次々に新しい仕事が舞い込んでくる。
スキルがつけばつくほど、早く上手く仕事が終わるから
次の仕事がより一層舞い込んでくるわけです。
考えれば当然ですが、当時はそんな事考えたこともなく、
「これはなんかおかしいぞ」と考えこんだわけです。
この連鎖が止まるとは思えない。
つまり、仕事をがんばればがんばるほど、
自分のやりたい事はできなくなる。
ということは、自分のやりたい事を仕事にしないかぎり、
この循環から抜けられない。
しかし、やりたい事では食っていけないぞ。
さあ、どうする。
これが私の出発点だった。たしか30歳前後のころの事です。
というわけで、妻子には大変申し訳ないけれど、
貧乏暮らしをしながら、満足いくほどではないにしろ、
やりたい事を少しでも実現する暮らしにシフトした訳です。
私の力では、やりたい事では、もちろん食っていません。
ただ、努力できる時間は与えてもらった。
でも、人間というのは愚かなもので、
時間を与えてもらったにもかかわらず、
「他にもやりたい事がある」とか「体がだるい」とか
そんな理由で怠けてしまいがちなんですよね。
いや、「人間」じゃなくて「私」が愚かなんですけどね。
さて、ダイエットと同じで、どんな物事でも
ある程度の結果がみえないと
やる気が失せてくるというのは
この歳まで生きてくれば分かります。
そろそろ現時点で自分はどのくらいの事ならできるのか、
1つでも2つでも、結果を出してみる作業を
ちゃんとやりたいと思っているところです。
そのうえで、まだそれを続けていくのかどうか、
判断したいと考えています。
あいまいで分かりませんね。ごめんなさい。
暮らしが便利になり、余暇ができ、
仕事以外に、自分の好きな事ができる。
実際に社会に出る前は
そんな事を漠然と、当然のように思ってました。
ただ、最初のうちは技術も経験もないから、
心からやりたい事はしばらく我慢して仕事を優先し、
ある程度、スキルがついて余暇ができれば、
その時にまた始めればいい。
そんな青臭いことを考えていたわけです。
しかし、がんばってもがんばっても、
いや、がんばればがんばるほど、
信用されればされるほど、
次々に新しい仕事が舞い込んでくる。
スキルがつけばつくほど、早く上手く仕事が終わるから
次の仕事がより一層舞い込んでくるわけです。
考えれば当然ですが、当時はそんな事考えたこともなく、
「これはなんかおかしいぞ」と考えこんだわけです。
この連鎖が止まるとは思えない。
つまり、仕事をがんばればがんばるほど、
自分のやりたい事はできなくなる。
ということは、自分のやりたい事を仕事にしないかぎり、
この循環から抜けられない。
しかし、やりたい事では食っていけないぞ。
さあ、どうする。
これが私の出発点だった。たしか30歳前後のころの事です。
というわけで、妻子には大変申し訳ないけれど、
貧乏暮らしをしながら、満足いくほどではないにしろ、
やりたい事を少しでも実現する暮らしにシフトした訳です。
私の力では、やりたい事では、もちろん食っていません。
ただ、努力できる時間は与えてもらった。
でも、人間というのは愚かなもので、
時間を与えてもらったにもかかわらず、
「他にもやりたい事がある」とか「体がだるい」とか
そんな理由で怠けてしまいがちなんですよね。
いや、「人間」じゃなくて「私」が愚かなんですけどね。
さて、ダイエットと同じで、どんな物事でも
ある程度の結果がみえないと
やる気が失せてくるというのは
この歳まで生きてくれば分かります。
そろそろ現時点で自分はどのくらいの事ならできるのか、
1つでも2つでも、結果を出してみる作業を
ちゃんとやりたいと思っているところです。
そのうえで、まだそれを続けていくのかどうか、
判断したいと考えています。
あいまいで分かりませんね。ごめんなさい。
2008年07月15日
とりとめのない話
どんな分野においても
一流をめざすというのは、とても素晴らしい事だと思います。
その過程にも感心するし、訓練を実践する姿勢にも
見習わなければならない事は多いと思います。
ただ、私はみんながみんな、
一流をめざす必要はないとも思っています。
「プロなんだから一流の仕事をしろ!」なんて
声高に求める必要もないと思っています。
私自身も二流どころか三流に近いと思ってますし。
食っていくのは大変かもしれないけど、
一流を無理せず追いながらも、仕事以外の暮らしも大切にするという
そういう職人さんの穏やかな生き方というのも
とても素晴らしいと思う。
ものづくりの現場だけでなく、
公務員や教育関係者、政治家、司法関係者、医療関係者など
さまざまなプロがみえます。
一流をめざすのは大変結構なことなんですが、
最近のこうしたプロの方々を見てると
一流の地位をめざして汲々とし、
なにか大事なことを忘れられているのではないか、とも思うんです。
例えば、ウチの親父は、
ある分野の「職人」と言っていいと思いますが、
非常にバカ正直です。
「これは法律で決まっとるでダメや」
「俺はやらん。嫌なら他へ持っていってもらって結構」
こんな感じですわ。腕は良いはずなんですがね。
もちろん、融通がきかないという言い方もできるのですが、
「分からんでいいやろ」「こんなとこ、誰も調べんさ」
というような事が一切ありません。
職人としては二流かもしれませんが、
プロ、職人として確実に信用はできます。
ある人のお父さんは公務員ですが、
家へ帰ると、たとえ家族にでも、
公務のことについては絶対にしゃべらないそうです。
「ちょっとだけ聞かせて」と言っても
絶対しゃべらないそうです。誰に対しても。
多少うとまれる事はあるそうですが、
誰に対しても融通のきかない公務員として
私はある意味、信用できる方だと思いました。
融通をきかせるという事が、
物事をスムーズに進めるというメリットをもっている反面、
なあなあの姿勢から何らかの「一線」を超えることで
どんどん堕落していく危険もあると感じます。
私はあまり大きな事を望みませんから、
せめて「ある程度の礼儀」をわきまえ、
「正直」で「まあ、そこそこ真面目」であってさえくれれば、
それでいいんだけどなあ。
外勤の途中に三十分くらい少年野球を眺め、
近所の人と世間話をする、ぐらいのゆとりを、
公務員にもたせても私は良いと思うんですけど、
それを許さないのが現代なんでしょうねえ。
なんか、とりとめのない話になりました。
一流をめざすというのは、とても素晴らしい事だと思います。
その過程にも感心するし、訓練を実践する姿勢にも
見習わなければならない事は多いと思います。
ただ、私はみんながみんな、
一流をめざす必要はないとも思っています。
「プロなんだから一流の仕事をしろ!」なんて
声高に求める必要もないと思っています。
私自身も二流どころか三流に近いと思ってますし。
食っていくのは大変かもしれないけど、
一流を無理せず追いながらも、仕事以外の暮らしも大切にするという
そういう職人さんの穏やかな生き方というのも
とても素晴らしいと思う。
ものづくりの現場だけでなく、
公務員や教育関係者、政治家、司法関係者、医療関係者など
さまざまなプロがみえます。
一流をめざすのは大変結構なことなんですが、
最近のこうしたプロの方々を見てると
一流の地位をめざして汲々とし、
なにか大事なことを忘れられているのではないか、とも思うんです。
例えば、ウチの親父は、
ある分野の「職人」と言っていいと思いますが、
非常にバカ正直です。
「これは法律で決まっとるでダメや」
「俺はやらん。嫌なら他へ持っていってもらって結構」
こんな感じですわ。腕は良いはずなんですがね。
もちろん、融通がきかないという言い方もできるのですが、
「分からんでいいやろ」「こんなとこ、誰も調べんさ」
というような事が一切ありません。
職人としては二流かもしれませんが、
プロ、職人として確実に信用はできます。
ある人のお父さんは公務員ですが、
家へ帰ると、たとえ家族にでも、
公務のことについては絶対にしゃべらないそうです。
「ちょっとだけ聞かせて」と言っても
絶対しゃべらないそうです。誰に対しても。
多少うとまれる事はあるそうですが、
誰に対しても融通のきかない公務員として
私はある意味、信用できる方だと思いました。
融通をきかせるという事が、
物事をスムーズに進めるというメリットをもっている反面、
なあなあの姿勢から何らかの「一線」を超えることで
どんどん堕落していく危険もあると感じます。
私はあまり大きな事を望みませんから、
せめて「ある程度の礼儀」をわきまえ、
「正直」で「まあ、そこそこ真面目」であってさえくれれば、
それでいいんだけどなあ。
外勤の途中に三十分くらい少年野球を眺め、
近所の人と世間話をする、ぐらいのゆとりを、
公務員にもたせても私は良いと思うんですけど、
それを許さないのが現代なんでしょうねえ。
なんか、とりとめのない話になりました。
2008年07月14日
久しぶりにクアアルプへ。
土曜日の夜、妻子とクアアルプへ行ってきました。
これまで左膝に違和感というか、
時々弱い痛みがあったのですが、
金曜日の昼、畑作業中に今度は右膝に激痛が走りました。
さすがにちょっと危機感を覚え、
ジョギングを少し控えようと考えていた矢先だったので、
膝への負担が少ない温水での水泳は
私にとってはとてもタイムリーな運動でした。
泳ぎは下手くそなんですが、
人の目を気にせず、いっぱい泳ぎました。
サウナにも入ってたっぷり汗をかきました。
これでかなりカロリーを消費し、
また体内水分を減らしただろうから、
家へ帰ったらすぐに体重と体脂肪を測ろうと
わくわくしながら帰宅しました。
ところが着いた途端に「ビール、ビール」状態になりまして、
あっという間に中瓶を飲み干してしまひました。
ついでに麦茶も。
飲んだ後で「あ、体重測ってないや!」と気づきましたが、
もう後の祭り。
「せっかく体重減らせたと思ったのに」と少しがっかりしながら
まあ、とにかくあんまり増えてなけりゃいいや、と思い直し、
ビールを飲んだ直後ではありましたが、
いつものように測ってみました。
そこでびっくり。
最近、最低体重の「壁」があって、もやもや気分だったのに、
その壁をあっさり突破しているではありませんか。
水泳って全身運動だからダイエットに良いとは聞いていましたが、
あまり汗をかいていないような気がするし、
ぐったりするほどは泳いでいなかったので、
この結果にはさすがに驚きました。
これはいい!
貧乏人なんで、しょっちゅう行くわけにはいきませんが、
こりゃ体重が減り悩んだとき(?)はクアアルプだな。
なんて考えていたら、また行きたくなってきた。
・・・これだけ書けばクアアルプ存続に貢献できるかな?
って私は存続の署名してないけど。
署名した人、ちゃんと行きないよ!
これまで左膝に違和感というか、
時々弱い痛みがあったのですが、
金曜日の昼、畑作業中に今度は右膝に激痛が走りました。
さすがにちょっと危機感を覚え、
ジョギングを少し控えようと考えていた矢先だったので、
膝への負担が少ない温水での水泳は
私にとってはとてもタイムリーな運動でした。
泳ぎは下手くそなんですが、
人の目を気にせず、いっぱい泳ぎました。
サウナにも入ってたっぷり汗をかきました。
これでかなりカロリーを消費し、
また体内水分を減らしただろうから、
家へ帰ったらすぐに体重と体脂肪を測ろうと
わくわくしながら帰宅しました。
ところが着いた途端に「ビール、ビール」状態になりまして、
あっという間に中瓶を飲み干してしまひました。
ついでに麦茶も。
飲んだ後で「あ、体重測ってないや!」と気づきましたが、
もう後の祭り。
「せっかく体重減らせたと思ったのに」と少しがっかりしながら
まあ、とにかくあんまり増えてなけりゃいいや、と思い直し、
ビールを飲んだ直後ではありましたが、
いつものように測ってみました。
そこでびっくり。
最近、最低体重の「壁」があって、もやもや気分だったのに、
その壁をあっさり突破しているではありませんか。
水泳って全身運動だからダイエットに良いとは聞いていましたが、
あまり汗をかいていないような気がするし、
ぐったりするほどは泳いでいなかったので、
この結果にはさすがに驚きました。
これはいい!
貧乏人なんで、しょっちゅう行くわけにはいきませんが、
こりゃ体重が減り悩んだとき(?)はクアアルプだな。
なんて考えていたら、また行きたくなってきた。
・・・これだけ書けばクアアルプ存続に貢献できるかな?
って私は存続の署名してないけど。
署名した人、ちゃんと行きないよ!
2008年07月10日
読書は楽し
最近、免疫学のお医者さんの本を読んでいます。
「病気の多くは、体の調節系と生体防御系の
バランスの崩れから来るもので、
これを考えなければ病気の根本治癒にはつながらないし、
ほとんどはこれで説明がつく」
とする考え方で、現在の医療のあり方を批判している本です。
抗ガン剤や放射線、ステロイドによるガン治療は
止めるべきだと主張されており、
つまりは現在多く行われているガン治療のほとんどは
間違っているというものです。
いや、ガン治療だけでなく、
無理な生活に由来する病気治療にこれらを使うことが
ほとんど間違っていると言っています。
例えばアトピーにステロイド剤を使うことなどです。
私、こういう極端な言説は疑ってかかる性質なんですが、
自律神経や、交感神経・副交感神経について
知りたいということもあり、読んでみたというわけです。
それで、この本を読んで考えさせられたことが3つありました。
1つめは、体のなかの免疫機能の働きが
難しいなりにも何となく分かったような気になれたこと。
非常に分かりやすく(というか大雑把に)書いてあるので
自分の体について考える良い機会になりました。
人間の体というのは上手くできていて
そう簡単には崩れるものじゃないという事が分かりました。
つまり、体調が崩れる多くの場合は
患者の生き方に無理があるのだということです。
2つめは、多くの医者の病気への取り組み方が
この人の言うように、仮に間違っているとして、
それを患者が質して、自分の思うような治療を
やってもらうことの難しさ。
そりゃ医者としては
「私の治療が嫌ならば、よそへ行ってください」と
言いたくなるのも無理はない。
つまり、これまで頼ってきた権威から見放される
恐怖と言ったら良いでしょうか。
少なくとも私にはそれがある。
3つめに、やはり自分の体は
自分で責任を持たなければいけないということ。
2つめのような「医者の治療を拒否する」というのも
最終的には「生きるも死ぬも自分で決める」という
責任を自分で負うということですわ。
読んだ本には「患者責任」という言葉が使ってありました。
病気というのは、多くの場合、無理な生き方が原因であり、
そうした生活を見直すこともなく、
「何が何でも治せ」と医者に迫るのは
間違っているということですね。
この本の著者が書いていることが
合っているか間違っているか、
残念ながら私には判断のしようがありませんが、
非常に説得力のある書き方をしているのは確かでした。
体の事を勉強すると、当たり前ですが、
すごくたくさんの発見があり、
それによって自分の生き方も変わってくるというのは
とても刺激的で、面白いなあと思いました。
「病気の多くは、体の調節系と生体防御系の
バランスの崩れから来るもので、
これを考えなければ病気の根本治癒にはつながらないし、
ほとんどはこれで説明がつく」
とする考え方で、現在の医療のあり方を批判している本です。
抗ガン剤や放射線、ステロイドによるガン治療は
止めるべきだと主張されており、
つまりは現在多く行われているガン治療のほとんどは
間違っているというものです。
いや、ガン治療だけでなく、
無理な生活に由来する病気治療にこれらを使うことが
ほとんど間違っていると言っています。
例えばアトピーにステロイド剤を使うことなどです。
私、こういう極端な言説は疑ってかかる性質なんですが、
自律神経や、交感神経・副交感神経について
知りたいということもあり、読んでみたというわけです。
それで、この本を読んで考えさせられたことが3つありました。
1つめは、体のなかの免疫機能の働きが
難しいなりにも何となく分かったような気になれたこと。
非常に分かりやすく(というか大雑把に)書いてあるので
自分の体について考える良い機会になりました。
人間の体というのは上手くできていて
そう簡単には崩れるものじゃないという事が分かりました。
つまり、体調が崩れる多くの場合は
患者の生き方に無理があるのだということです。
2つめは、多くの医者の病気への取り組み方が
この人の言うように、仮に間違っているとして、
それを患者が質して、自分の思うような治療を
やってもらうことの難しさ。
そりゃ医者としては
「私の治療が嫌ならば、よそへ行ってください」と
言いたくなるのも無理はない。
つまり、これまで頼ってきた権威から見放される
恐怖と言ったら良いでしょうか。
少なくとも私にはそれがある。
3つめに、やはり自分の体は
自分で責任を持たなければいけないということ。
2つめのような「医者の治療を拒否する」というのも
最終的には「生きるも死ぬも自分で決める」という
責任を自分で負うということですわ。
読んだ本には「患者責任」という言葉が使ってありました。
病気というのは、多くの場合、無理な生き方が原因であり、
そうした生活を見直すこともなく、
「何が何でも治せ」と医者に迫るのは
間違っているということですね。
この本の著者が書いていることが
合っているか間違っているか、
残念ながら私には判断のしようがありませんが、
非常に説得力のある書き方をしているのは確かでした。
体の事を勉強すると、当たり前ですが、
すごくたくさんの発見があり、
それによって自分の生き方も変わってくるというのは
とても刺激的で、面白いなあと思いました。
2008年07月08日
苦手だからって・・・
「弱点」なんてモノを考えはじめると
私なんかは弱点だらけで、
弱点で出来上がっているような人間です。
それでも、あんまり弱点が多いとカッコ悪いので
一つでも二つでも克服しようと企むわけです。
克服するにはどうしたらいいかと考える前に
「逃げる」「プロに任せる」なんて方法がありますが、
それも貧乏ながら多少の目標がある私にとっては
よろしくないわけで、
それはもう「やる」しかないわけです。
私の場合、資格試験がそうなのですが、
もう確実に得点源の得意な分野をいくらやっても
得点アップにはほとんどつながらないわけで、
苦手分野をなんとか「そこそこ」にまでもってくれば、
大幅な得点アップを見込めるのですね。
つまり、私にとって、合格に向けてもっとも重要なのは
「弱点の克服」、とまではいかなくとも、
「それほど弱点でもない」くらいまで持っていく事なんですね。
というわけで、今は分からないなら分からないなりに
とにかく「日々やる」、とまあ、そういう状況です。
なんでもそうかとは思いますが、
得意分野というのは、要は「コツ」が分かっているということです。
「コツ」とは「骨」でして、要は「骨格」のことですね。
「骨格」がしっかりしていれば、応用が効きます。
だから、それほど時間を費やさなくても
なんとか合格ラインへ持っていける。
その分、苦手分野に力を注がなくちゃいけない。
すでに出来ることを、重点的に一生懸命やってても
「合格」にはあまり意味がない。私の場合は。
ただ、苦手なモノはその名の通り「苦」ですから
あまり正面きってやっても、苦労が多く、
それになかなか成果が見えてきませんから、
面白くなくなってきちゃう。
だから、苦手なモノに対しては、
日々の積み重ねの「じみーな作業」について
いかに楽しく前向きに取り組めるか
その方法が重要でして
今のところ、ここがポイントかなあ、と思っています。
さて、こんな偉そうな事を書いておりますが、
ことしは合格できるのでしょうか。
残された時間も少なくなってきましたわい・・・。
私なんかは弱点だらけで、
弱点で出来上がっているような人間です。
それでも、あんまり弱点が多いとカッコ悪いので
一つでも二つでも克服しようと企むわけです。
克服するにはどうしたらいいかと考える前に
「逃げる」「プロに任せる」なんて方法がありますが、
それも貧乏ながら多少の目標がある私にとっては
よろしくないわけで、
それはもう「やる」しかないわけです。
私の場合、資格試験がそうなのですが、
もう確実に得点源の得意な分野をいくらやっても
得点アップにはほとんどつながらないわけで、
苦手分野をなんとか「そこそこ」にまでもってくれば、
大幅な得点アップを見込めるのですね。
つまり、私にとって、合格に向けてもっとも重要なのは
「弱点の克服」、とまではいかなくとも、
「それほど弱点でもない」くらいまで持っていく事なんですね。
というわけで、今は分からないなら分からないなりに
とにかく「日々やる」、とまあ、そういう状況です。
なんでもそうかとは思いますが、
得意分野というのは、要は「コツ」が分かっているということです。
「コツ」とは「骨」でして、要は「骨格」のことですね。
「骨格」がしっかりしていれば、応用が効きます。
だから、それほど時間を費やさなくても
なんとか合格ラインへ持っていける。
その分、苦手分野に力を注がなくちゃいけない。
すでに出来ることを、重点的に一生懸命やってても
「合格」にはあまり意味がない。私の場合は。
ただ、苦手なモノはその名の通り「苦」ですから
あまり正面きってやっても、苦労が多く、
それになかなか成果が見えてきませんから、
面白くなくなってきちゃう。
だから、苦手なモノに対しては、
日々の積み重ねの「じみーな作業」について
いかに楽しく前向きに取り組めるか
その方法が重要でして
今のところ、ここがポイントかなあ、と思っています。
さて、こんな偉そうな事を書いておりますが、
ことしは合格できるのでしょうか。
残された時間も少なくなってきましたわい・・・。
2008年07月04日
故・天本英世氏
「困った時代」になると、
文系人間は敬遠され、理系人間がもてはやされる。
最近の話だけかと思っていたら、戦時中もそうだったそうな。
故・天本英世さんの著書で知った。・・・俳優さんですね。死神博士。
以前もどこかで書きましたが、
私、この方がこんなに過激な文章を書く方とは
まったく知りませんでした。
いや、過激というよりも、
物を言いづらい時代にはっきり物を言う方とは
知らなかったというのが正しいか。
戦後60年を過ぎてなお、口にしづらい「亡霊」が存在する。
それをきちんと自分の言葉で書いてみえる。
最近、ネットオークションで(またか)
久しぶりに著書を安く手に入れました。
「日本人への遺書(メメント)」。
自身の戦争体験や、スペインの人々との交流を語り、
そして思索を重ねながら、
「人間の自由を制限しようとする教育委員会や政治家と闘え」
「君が代を歌えと強制するのは、人間の自由に対する侵害である」
「考え、自分の意見を持って、議論すべき」
「天皇制を曖昧にしてきたのは、日本人に自立心が乏しいためではないか」
といったメッセージをつづる。
最近、「有識者」と称する人々がよくつかう「平和呆け」という言葉に
本当に平和呆けしているのは誰なんだと
違和感を抱いていたのだけれど、
見事にそれを言葉にしてくださっていました。
最近、「操体法」の本を読み、「免疫療法」の本を読み、
「フェルデンクライス身体訓練法」の本を読み、
そしてこの本を読みました。
今の自分に何が足りないのか、どうすればいいのか。
少し整理ができてきて、やる気をもらったところです。
「『戦争』という言葉がつくだけで、これからはもう後援することはありません」
某市の教育関係者の言葉だそうです。
これが現実だということを、改めてしっかりと思いしった次第です。
文系人間は敬遠され、理系人間がもてはやされる。
最近の話だけかと思っていたら、戦時中もそうだったそうな。
故・天本英世さんの著書で知った。・・・俳優さんですね。死神博士。
以前もどこかで書きましたが、
私、この方がこんなに過激な文章を書く方とは
まったく知りませんでした。
いや、過激というよりも、
物を言いづらい時代にはっきり物を言う方とは
知らなかったというのが正しいか。
戦後60年を過ぎてなお、口にしづらい「亡霊」が存在する。
それをきちんと自分の言葉で書いてみえる。
最近、ネットオークションで(またか)
久しぶりに著書を安く手に入れました。
「日本人への遺書(メメント)」。
自身の戦争体験や、スペインの人々との交流を語り、
そして思索を重ねながら、
「人間の自由を制限しようとする教育委員会や政治家と闘え」
「君が代を歌えと強制するのは、人間の自由に対する侵害である」
「考え、自分の意見を持って、議論すべき」
「天皇制を曖昧にしてきたのは、日本人に自立心が乏しいためではないか」
といったメッセージをつづる。
最近、「有識者」と称する人々がよくつかう「平和呆け」という言葉に
本当に平和呆けしているのは誰なんだと
違和感を抱いていたのだけれど、
見事にそれを言葉にしてくださっていました。
最近、「操体法」の本を読み、「免疫療法」の本を読み、
「フェルデンクライス身体訓練法」の本を読み、
そしてこの本を読みました。
今の自分に何が足りないのか、どうすればいいのか。
少し整理ができてきて、やる気をもらったところです。
「『戦争』という言葉がつくだけで、これからはもう後援することはありません」
某市の教育関係者の言葉だそうです。
これが現実だということを、改めてしっかりと思いしった次第です。
2008年07月03日
新聞なんか・・・
インターネット依存症に
片足を突っ込んでいるかもしれない。
一日数回、いろんなところにアクセスしているし、
ブログの更新についても
文章を書くことには結構時間を費やしている。
ネットオークションも毎日チェックしてるし、
仕事でも検索して調べものをしたりするし、
他人のブログやホムペをチェックして
書き込みなんぞもしていると、
やはり数時間はネットを利用していることになる。
そんな暮らしをしていると、
ネットというのはニュースの第一報が早いなあ、と
感じることが多い。
もちろん、くだらない話題も多いし、
ほんとかどうか真偽を疑うものもある。
詳しい内容などほとんど書いてないから
速報性が高いのだとも思う。
あるニュースをネットで簡単に読んだあと、
テレビを観てるとそのニュースをやってて
「あ、これ、知ってるよ」となり、
次の日に新聞を読むと、同じような記事が載ってて
「おい、いつのネタを載せてんだ。遅いよ」
ということになる。
よほど詳しく、しかも納得できる記事があるか、
それともネットやテレビで取り上げない話題があるかしないと
もう新聞なんて必要なくなるんじゃないか、
なんてことも思います。
特に無料でテレビやネットで得られるような情報を
有料の新聞で得るというのも抵抗感があるし。
今、私が新聞で得たい情報は
土日の競馬の馬柱くらい。
これね、意外とネットでも無料では得られないんですよね。
書き込みもしたいから、
これだけは新聞紙を買いに自ら足を運びます。
あとテレビ欄と、地元の情報くらいかな。
でもねえ、なんか地元の情報でも、
現場に記者が取材に来てないのに、新聞に記事が載ってて
しかもその記事に記者の署名が載ってたりするんだけど、
あれって一体どういうカラクリなんだろうと思う。
来てるの? 見えないけど(笑)。
来てないなら署名記事はマズイでしょ。
新聞かあ。もうダメかもよ。記者さんたち!(笑)
片足を突っ込んでいるかもしれない。
一日数回、いろんなところにアクセスしているし、
ブログの更新についても
文章を書くことには結構時間を費やしている。
ネットオークションも毎日チェックしてるし、
仕事でも検索して調べものをしたりするし、
他人のブログやホムペをチェックして
書き込みなんぞもしていると、
やはり数時間はネットを利用していることになる。
そんな暮らしをしていると、
ネットというのはニュースの第一報が早いなあ、と
感じることが多い。
もちろん、くだらない話題も多いし、
ほんとかどうか真偽を疑うものもある。
詳しい内容などほとんど書いてないから
速報性が高いのだとも思う。
あるニュースをネットで簡単に読んだあと、
テレビを観てるとそのニュースをやってて
「あ、これ、知ってるよ」となり、
次の日に新聞を読むと、同じような記事が載ってて
「おい、いつのネタを載せてんだ。遅いよ」
ということになる。
よほど詳しく、しかも納得できる記事があるか、
それともネットやテレビで取り上げない話題があるかしないと
もう新聞なんて必要なくなるんじゃないか、
なんてことも思います。
特に無料でテレビやネットで得られるような情報を
有料の新聞で得るというのも抵抗感があるし。
今、私が新聞で得たい情報は
土日の競馬の馬柱くらい。
これね、意外とネットでも無料では得られないんですよね。
書き込みもしたいから、
これだけは新聞紙を買いに自ら足を運びます。
あとテレビ欄と、地元の情報くらいかな。
でもねえ、なんか地元の情報でも、
現場に記者が取材に来てないのに、新聞に記事が載ってて
しかもその記事に記者の署名が載ってたりするんだけど、
あれって一体どういうカラクリなんだろうと思う。
来てるの? 見えないけど(笑)。
来てないなら署名記事はマズイでしょ。
新聞かあ。もうダメかもよ。記者さんたち!(笑)
2008年07月02日
エンドロール
その人が間違っているのか、私の考えがおかしいのか。
とにかくプンスカと怒ってしまったのは昨日のこと。
・・・最近、いつも怒ってるけど。
映画を観ていたのですが、
一応、本編が決着し、エンドロールが流れていた時ですわ。
館内の後ろの方の席で
なんじゃかんじゃと、しゃべる声が聞こえてきたんですね。
内容までは聞こえませんでしたが、口調からして
喧嘩とか暴れてるとか、そんなんじゃなくて
おそらく普通の世間話に思えました。
これです。
いくらダメな映画(いや、失礼)だからといって
普通ね、しゃべるか。エンドロール中に。
ここは映画館であって、茶の間ではないのですよ。
例えば、本編の上映中に席を立つというのは、
これは仕方ありません。
我慢ならない映画を観続けなければならない義理はありませんし、
抗議の意味も込めて席を立つというのは、
他の観客に多少迷惑になったとしても、仕方がない。
それでも、さりげなく気をつかって
さっと去るのが当たり前の事だと思うんです。
しかし、「しゃべる」というのは
私は論外だと思うんです。
「他の客がひょっとしたら
エンドロールで余韻を楽しんでいるかもしれない」
ということも当然考えるべきですよね。
映画の余韻にひたりたくても、
そういう人の声はたいてい、とても汚く、邪魔なのです。
その人たちの声がなくなった後は、
エンドロールが終わって幕が下りてくるまで
みんな静かにしていました。
しかし、こういう人っていうのはきっと
公衆の面前で化粧を直すことを
何とも思わない人なんだろうな、と思います。
「なぜエンドロールがあるのか」
「なぜエンドロールの時にしゃべってはいけないのか」
「そもそも、なぜそんなにしゃべりたいのか」
「なぜ化粧をするのか」等をもう少し考え、
生きていっていただきたいと、強く願った一日でした。
とにかくプンスカと怒ってしまったのは昨日のこと。
・・・最近、いつも怒ってるけど。
映画を観ていたのですが、
一応、本編が決着し、エンドロールが流れていた時ですわ。
館内の後ろの方の席で
なんじゃかんじゃと、しゃべる声が聞こえてきたんですね。
内容までは聞こえませんでしたが、口調からして
喧嘩とか暴れてるとか、そんなんじゃなくて
おそらく普通の世間話に思えました。
これです。
いくらダメな映画(いや、失礼)だからといって
普通ね、しゃべるか。エンドロール中に。
ここは映画館であって、茶の間ではないのですよ。
例えば、本編の上映中に席を立つというのは、
これは仕方ありません。
我慢ならない映画を観続けなければならない義理はありませんし、
抗議の意味も込めて席を立つというのは、
他の観客に多少迷惑になったとしても、仕方がない。
それでも、さりげなく気をつかって
さっと去るのが当たり前の事だと思うんです。
しかし、「しゃべる」というのは
私は論外だと思うんです。
「他の客がひょっとしたら
エンドロールで余韻を楽しんでいるかもしれない」
ということも当然考えるべきですよね。
映画の余韻にひたりたくても、
そういう人の声はたいてい、とても汚く、邪魔なのです。
その人たちの声がなくなった後は、
エンドロールが終わって幕が下りてくるまで
みんな静かにしていました。
しかし、こういう人っていうのはきっと
公衆の面前で化粧を直すことを
何とも思わない人なんだろうな、と思います。
「なぜエンドロールがあるのか」
「なぜエンドロールの時にしゃべってはいけないのか」
「そもそも、なぜそんなにしゃべりたいのか」
「なぜ化粧をするのか」等をもう少し考え、
生きていっていただきたいと、強く願った一日でした。
2008年07月01日
素直に言えば・・・
「KY」などという言葉が流行りました。
そろそろ使われなくなってきたのかなあ?
この言葉、嫌いだったので早く死語になってほしいです。
人は素直に言葉を吐きません。
人それぞれに立場というものがあるから、
思っていても言えない事があったり、
はっきり物を言うことで起きる摩擦を避けようとしたり、
時には言葉にならないという場合だってあるでしょうし。
そういう場合、聞き手は話し手のリアクションや
話す言葉尻、その場の雰囲気を察して
言葉の裏を読みとる努力をする。
そうする事で、相手が本当に言おうとしている事を
できるだけ理解したいと思うから。
でもね、言葉の裏を探ってばかりいると、
なんだか疲れてくるのも確かなんですよね。
「もってまわった言い方ばかりすんな! はっきり言え!」
と言いたくなる。
でもね、じゃあはっきり言われるとどうかというと
それはそれで疲れるのね。
正直な言葉がブスブスと私の中のいろんなところに刺さって
痛いんだなあ。
そんな事ばっかり続くと
「たまにはオブラートに包んだ物の言い方をしろよ!」
なんて勝手な事を思ったりします。
要は「コミュニケーションというのは難しい」と
至ってシンプルな、陳腐な物の言い方になってしまいます。
身内や仲の良い友人知人ばかりに囲まれて暮らせれば
そういう事も少ないのだろうけれど、
世の中、そんなに簡単ではなく、
得てして、とんでもなくフィーリングの合わない人と
仕事をせざるを得なくなる。
そういう時はしんどいですね。
こういう時の処世術は「できるだけ関わらない」事なんだけど、
関わらなければ仕事にならないし、
第一、相手の気持ちを、理解とまではいかなくても、
知ることすらできない。厄介です。
何が正しいのか、どうすればベストなのか、
誰も教えてくれないし、正解などありはしない。
すると、最終的にはやはり
自分で考え、自分の信じるままに
言葉を出したり受け止めたりするしかないんだと
結局、またありきたりな結論になってしまいます。
本当は差別語も含め、
言葉をいかに発するかを考えていくと、
とてつもなく厄介な事になっていきますが、
今の私にはそこまでの気力がないので、
結局は相手を傷つけながらこちらも傷つき、
よたよたと生きていくしかないんだろうと思います。
それでは失礼して・・・
いいかげんにしろ! ばーーか!!
そろそろ使われなくなってきたのかなあ?
この言葉、嫌いだったので早く死語になってほしいです。
人は素直に言葉を吐きません。
人それぞれに立場というものがあるから、
思っていても言えない事があったり、
はっきり物を言うことで起きる摩擦を避けようとしたり、
時には言葉にならないという場合だってあるでしょうし。
そういう場合、聞き手は話し手のリアクションや
話す言葉尻、その場の雰囲気を察して
言葉の裏を読みとる努力をする。
そうする事で、相手が本当に言おうとしている事を
できるだけ理解したいと思うから。
でもね、言葉の裏を探ってばかりいると、
なんだか疲れてくるのも確かなんですよね。
「もってまわった言い方ばかりすんな! はっきり言え!」
と言いたくなる。
でもね、じゃあはっきり言われるとどうかというと
それはそれで疲れるのね。
正直な言葉がブスブスと私の中のいろんなところに刺さって
痛いんだなあ。
そんな事ばっかり続くと
「たまにはオブラートに包んだ物の言い方をしろよ!」
なんて勝手な事を思ったりします。
要は「コミュニケーションというのは難しい」と
至ってシンプルな、陳腐な物の言い方になってしまいます。
身内や仲の良い友人知人ばかりに囲まれて暮らせれば
そういう事も少ないのだろうけれど、
世の中、そんなに簡単ではなく、
得てして、とんでもなくフィーリングの合わない人と
仕事をせざるを得なくなる。
そういう時はしんどいですね。
こういう時の処世術は「できるだけ関わらない」事なんだけど、
関わらなければ仕事にならないし、
第一、相手の気持ちを、理解とまではいかなくても、
知ることすらできない。厄介です。
何が正しいのか、どうすればベストなのか、
誰も教えてくれないし、正解などありはしない。
すると、最終的にはやはり
自分で考え、自分の信じるままに
言葉を出したり受け止めたりするしかないんだと
結局、またありきたりな結論になってしまいます。
本当は差別語も含め、
言葉をいかに発するかを考えていくと、
とてつもなく厄介な事になっていきますが、
今の私にはそこまでの気力がないので、
結局は相手を傷つけながらこちらも傷つき、
よたよたと生きていくしかないんだろうと思います。
それでは失礼して・・・
いいかげんにしろ! ばーーか!!



